日本文学者ドナルド・キーンさんの言葉に、なるほどと思ったこと。
17文字の俳句を、詩的なまま英語に翻訳するのは非常に困難。
日本人なら知っている風物や古典の知識を英語の読者は知らない。
英語では必須の主語が、省略されることも多い。
それを英語の読者ができるだけ分かりやすいように訳したら、
説明的で散文的になってしまう。もはや詩的ではない。
もう4回も取り組んだ『奥の細道』の英語翻訳、
とくに最初のはあまりにも説明的過ぎ、ひどかったそうで、
「幸い活字にならず誰にも見られずに済みました」と笑っておられました。
夏草や兵どもが夢の跡
省略され、凝縮された17文字には広大な風景が広がっています。
日本人は、それを補って想像することができます。
ひるがえって、言葉で案内するフェルデンクライスのATM。
私のレッスンも、参加者ができるだけ分かりやすいようにと、
つい説明が過ぎてしまいます。
私自身が、“分からない”状態は居心地が悪いから。
それでは参加者が想像する余地がなくなる。
散文的になってしまうのですね。